各務支考の俳句・ある日ある時
1月 | 薮入りに 饂飩打つとて 借着かな | やぶいりに うどんうつとて かりぎかな |
〃 | 追羽子は 風やはらかに 下りけり | 追羽子の落ちる様子を、風やわらかにと表現して、新春の気分が盛り上がる 昨今、見受けられない風情では? |
〃 | 若菜売る声や難波の浅みどり | 正月七日の七草粥に使う材料(特に薺ナズナ)を売る声 新春を色にすれば浅みどり!支考が青年の清々しい一面… |
〃 | 門松に聞けとよ鐘も無常院 | 変わらぬ物の象徴である松の緑に、無常を説く鐘の音が響く。 一休禅師が正月に髑髏を掲げて「御用心ご用心」と説いた姿をイメージさせられる |
〃 | けふけふと思へばうれし花の春 | ああ、この日が来た、正月が来た!という喜びに溢れた一句。 子供心に似た素直で明るい喜びの表現が、明るい春を更に華やぎあるものにしている。 |
〃 | 君がため味噌とはよまず若菜哉 | 君がため~のロマンも、味噌を贈れば恋もすっ飛ぶ所帯の匂い お正月初笑いの句?短歌にはない俳句の妙味… |
〃 | 門松に聞けとよ鐘も無常院 | 来る年は新たながら、移ろう時の空しさ~逃れがたきものを感じさせる 昨日は今日の古、今日は明日の昔。時間の波に揺られる俗人… |
〃 | けふけふと思へばうれし花の春 | 春は季節の春ではなく、新春の春正月である。いよいよ新年を迎えた その喜びを直接詠んだ一種爽快さを感じる |
〃 | 竜宮に三日居たれば老の春 | 竜宮伝説に因んでの「老い」の目出度さと 新年の寿ぎを重ねた句であるが、近年の老年は本当に目出度いのだろうか? |
〃 | 若菜摘足袋の白さよ塗木履 | 若菜を摘む少女?は、草履でも下駄でもなく 「塗りのポックリ」という点が、愛らしい春正月の一幅の絵を感じる |
〃 | 若菜摘手や袖縁の紅の色 | 若菜の緑に袖口の紅色…それだけで一幅の絵く 雅な姫とも違う、成人に達せぬ童乙女の柔らかな香りする句では。。。 |
〃 | 念仏と豆腐たふとし老いの春 | さて、支考何才の春であろうか?老いを突き詰めればく 信仰と食…うれしさも中くらいなりおらだ春…も近い |
2月 | むめが香の 筋に立ちよる はつ日哉 | うめがかの すじにたちよる はつひかな |
〃 | 水上は鶯啼いて水浅し | リズム感がいい俳句はストンと腑に落ちる。ミとアが心地よい |
〃 | 羽二重の膝に飽きてや猫の恋 | 恋猫には羽二重も麻も価値はゼロ…というか、一途な思いに富貴は異次元のことかも? |
〃 | 次郎殿も兄におとらじ梅の花 | 当時美濃から越後に移植された梅を越後の井上氏が賞賛して詠ったもの |
〃 | 三日月をつきぬく梅の匂ひかな | 鼻から目に突き抜ける『わさび』…の表現を、春一番の梅の香りに用いた支考。この感性を得たいものだ。 加えて、月を突くと言う。これは滑稽味?どっちかにして頂きたい気もする |
〃 | 埋木に此花さきぬ梅の花 | 友の短歌にはないの墓前に捧げられた一句。 冬を越した里の木々…小枝小柴の散る中でポッと咲く梅の花…寂しい死を感じる |
〃 | くどくどとおもへば悲し夜の梅 | 芭蕉の百ケ日に際して詠まれた句。 師を偲ぶ夜の帳を、梅の香が包む。哀愁を醸す梅であり、春愁をも感じさせる |
〃 | 屋根ふきは下からふくぞ星下り | 「星下り」は梅のことらしい…?と首を傾げる 瓦の「下」からと星「下」り…文字の下下も句になる趣向 |
〃 | 鶯もやせてや木曽の檜の木笠 | この句が俳諧風雅を究める人を称えている…一読では?である なぜ「檜の木笠」なのか?リズムよく「檜笠」で終わっては? |
〃 | 三日月をつきぬく梅の匂ひかな | 鋭角の月を突きぬく香り!梅の香への最高の表現だと思う。 梅の香りが鋭い動きを、梅好きの支考が捉えた |
〃 | 二見とは松の朝日に梅の月 | 二見形文台の裏面に必ず記される句。朝日(朝)と月(夜)の対比が(二つ見る)に繋がる 頓智のような文台の裏表である |
〃 | 是までか是までかとてはるのゆき | 是でおわりかな~と思われつつも又もや雪*とは言え、ほんのり春の色。 「是」以外の平仮名に柔らかい春を感じる |
〃 | しら玉や梅のつぼみも一包ミ | 春は別れの季節…近世なら尚、惜別の心計り知れぬものだったろう はなむけに添える梅が枝に、その心が宿る |
3月 | 桜咲ひとへに弥陀の彼岸哉 | 咲きor咲く?芭蕉23年忌。ひとへに迷う正徳4年義仲寺 |
〃 | あがりてはさがり明ては夕雲雀 | 雲雀の姿を朝から夕べまで、上空から地表まで捉えた句 雲雀は餌を探す為に上空にのぼり餌を捕るために急下降する。 その必死さは人間にも通じる気がする |
〃 | 木薬のにほいにあそぶ胡蝶かな | 木薬は生薬(きぐすり)で、調剤されていない材料のままの薬草のこと。 (木薬=生薬を商う人)のもとであそぶ(胡蝶=支考and胡蝶の夢の故事)とも解釈… が、人の逢瀬も春の夢~その覚束なさとも、人の世の春愁とも… |
〃 | 見渡して久しがほなる燕かな | 久しがほ=久し顔 として、改めて獅子門の語法が団塊の世代以後の人に どれだけ難無く受け入れられるのだろう…と、ふと心配になる。 燕と人との近親間は、今も昔も変わらないのに・・・ |
〃 | 水やそら空や水なる比良の花 | 水と空の融合、水と空の朧なる境界によって表現された春の景…「比良の花」以外でも応用がききそうな句あな… |
〃 | 屋根ふきは下からふくぞ星下り | 茅葺き屋根は下から順に上に向け葺いていく。星は下る…大きな空間を詠んだ句…とも感じる |
〃 | 草花の名に筆とらんつくづくし | イメージとして、草花の名の説明を聞いてメモっている様子を暖かく見守る支考の姿… その筆先と春の土筆、若人の学ぶ姿勢の清々しさが春に似合う |
〃 | 茶染屋に鶯なくや此日和 | 茶染めは貴人様御用達の染めだったとか…鶯の声がそんな場に似つかわしい?のか そんな場所にも鶯の声をきく驚きか?のんびりと春である |
〃 | 日あたりの干塩にちるや梅の華 | 赤黒い醤の上に散る花びら…梅の”花”ならず”華”と記されて その対比の美しさが際立つ、また 醤と梅・俗と雅の対比も面白い |
〃 | 俎板やかすみ棚引いかのぼり | およそ詩情とはかけ離れている俎板を冒頭に置いて、一句詠む支考… 俎板のイカスミと霞、烏賊と凧 遊び心あふれる春の一句 |
〃 | うぐひすも笹にちよつちよと味噌くさし | 一茶の句に「鶯やちょっと来るにも親子連れ」がある。 身近で微笑ましい親子の様子を見せてくれる鶯 それは日常そのもの、生活臭と会い似たものだろう |
〃 | 相撲とらば蒲団の上ぞ五形畠 | 五形畠=げんげばた レンゲ畑で相撲なんかするな…と 説教くさい句だが、元気な子供達を相手にしているような面白さもある |
〃 | 陽炎の糸よりあがるひばり哉 | 陽炎もひばりも春の季重なりながら、揺らめく大空の中 舞い上がっていくひばり…雄大な空間が広がっていく |
〃 | うき恋にたえでや猫の盗喰 | 「たえでや」がもし「たえてや」ならば、この猫ちょっといじらしく、しかも滑稽ではないか? 「たえでや」では支考目線の滑稽さ… |
4月 | 虻の目の何かさとりて早がてん | 虻が悟った!と早合点したのは支考?なら「さとりて」は「さとると」では?ヘンかな… |
〃 | 椿踏む道や寂寞たるあらし | 一瞬、現在の大智寺境内に支考が立っているのかと思った。 春北風の中、落椿を踏む自分・踏まれる椿。生きる寂しさにハッとなる一瞬 |
〃 | こま鳥や声あきらかに花の中 | ヒンカラカラ~と鳴くゆえに駒鳥?とか…花も季語、なら鳥も季語 しかとは分からぬ木の上で、鳴き声練習に励む姿に、声援を送る自分。心の中も春満開である |
〃 | 長刀の供こそつれね花盛 | 花冷え、花曇り、花の雨…朗と憂による雅とは異なり、「花盛り」という語には全てを胸中に納めきった潔さすら感じる |
〃 | ふり乱すやなぎ神代の姿哉 | 「やなぎ」は夏を連想しそう…でも春の季語。 "ふり乱す柳"…情を持つ生き物のような柳に神の姿を見る支考の眼が好きだ |
〃 | 賭けにして降り出されけりさくら狩り | 花見の日が晴れか雨か?賭けをして…晴れた日の花見に面白みは乏しく チェッ雨か…云々カンヌンの声がする |
〃 | 焼けにけりされども桜咲かぬ間に | 金沢大火の際、北枝が詠んだ「焼けにけりされども花はちりすまし」の句を受けての作 桜の開花が大火の前か後か 俳人とはこんな人? |
〃 | 山桜をのが花とや鳴鴉 | 木々を絵具で描けないのと同じく、鳥の鳴き声も文字では表現し難い。開花と同時に 葉を繁らす山桜、姿は見えぬ鴉が「主」宣言しているようだ |
〃 | 散はせで馬に蹴らるる椿哉 | まず「散はせで」に??と引っかかる人が多いだろう。ぽたっと落ちるはずの椿が 馬に蹴られて無理強い散った、その様を句に出来る支考 |
〃 | 浮鯛の名やさくら散三四月 | 急激な潮流の変化で浅瀬に入った鯛の名がさくら 同じ桜も3月~4月に散っていく。遊びっ気を感じる俳句 |
〃 | 笠きれば嬉しき空のひばりかな | 笠を着て、さァ出発だ~!空のひばりが、その思いに呼応する。 旅に生きる俳人ならばの一句…か? |
〃 | 笠とらむ売場の酒に桃の花 | 笠を取り置いて、ゆるりと一献。そこは桃の花盛り。 中国の古典的風景を想起する一句…か? |
〃 | 探るにも及ばず闇の柳哉 | 探るに及ばず…探すほどのことでない?いや、柳が… ほにゃほにゃと春宵に逍遥するおぼろな姿が見える |
〃 | 駒とめてみたきは花の御嵩哉 | 初めて俳人国騅にあった時の挨拶句とは言え 駒と桜のほのぼのとした風景が無に浮かぶ句では。。。 |
5月 | 卯の花に 叩(たた)きありくや かづらかけき | 『かづらかけ』とは桶のタガを掛ける事あるいは、その職人の事。 そんな風情も今は昔? |
〃 | つつがなき母の頼りやころもがへ | 春から夏へ、いつの時代も母は四季折々子の健やかなるを願う故に衣類を気遣う 老いた母からの便りが身にしむ |
〃 | 西行は娘もちてやころもがへ | 旧暦4月1日は綿入れから袷への衣替え…でも西行といえば墨染めへの変身?をちょっと突いた感じもする |
〃 | 卯の花の浪こそかゝれ色の浜 | 旧暦4月の海波や川波を指す「卯浪=ウナミ」の3音で済むところ缶ビール かな? |
〃 | 牡丹見の手燭に雨のこぼれ鳧(けり) | 五月晴れの下でなく、、あえて夜に、しかも雨、手燭の灯りで見る牡丹 この句に秘められた物語性と幽玄の美を感じる |
〃 | 青柳の若葉や秋もまのあたり | 命を謳歌するような若葉にもやがて秋が…と教訓めいた句とも、柳のうしろの亡者 への言葉とも…意味あって無きような…現在なら選に入るだろうか? |
〃 | どこやらが菖ににほふかきつばた | 菖に似ているかきつばた…では俳句の妙に欠けるが、俳諧に燃える弟子二人への挨拶句 となれば…これもあり? |
〃 | 若竹や茶の湯に遊ぶ老いの袖 | 四国の養里を訪れての挨拶句。とはいうものの「若竹」と「老い」の対照を詠み込む妙 出来そうで、出来ない |
〃 | うれしさもうさもうき世の鵜の字哉 | 初めの「う」から「世」まで、文字だけ拾うと??と思うが… 繰り返し読んでいると、リズム感あり内容もありで面白い |
〃 | 我袖は牡丹をぬすむ風雅なし | 訪れた宅に主は無く、咲き残りの牡丹に佇む支考…ややあって… 旅装束の我が袖では「花盗人」の風雅は遠いな~とでも思ったのかな~ |
〃 | 筍のどこでかぬけて縄ばかり | 束ねられた筍が、いつの間にかもぬけのカラ!跡には縄ばかり… 掘った苦労も運んだ時間も空しく…唯々意気消沈 誰恨むことも出来ぬ人生? |
〃 | 都いでて又みやこあり若楓 | 京から北陸へと続く支考の旅。その途上に何やら心魅かれる街や人 心も伸びやかに広がる若楓の時候が正に似合っている |
〃 | 卯の花の垣に富貴の隠者哉 | 卯の花の垣根が富の象徴?或いは香りゆえか、榎の僧正ならぬ 卯の花隠者の発見を喜ぶ風情だ |
〃 | 鶯をいなせて竹の落葉かな | いなせ~とは?春から夏にかけてザワザワト竹落葉 旅の哀歓すら感じる |
6月 | 山懸けて卯の花咲きぬ須磨明石 | 背後の山と卯の花の白、そして平安ロマンの須磨明石…ちょっと出来すぎた舞台かな? |
〃 | 山中や鶯老て小六ぶし | 小六とは慶長年間の江戸赤坂に住んだ小唄の上手い馬方の名。老鶯の鳴調子と小六の節が重なる…が、ホントは鶯以上の歌声は無理な気も… |
〃 | 世の中のうしろの皺や衣がえ | 「世の中の」ののは意味有りか否か…こんな俳句が支考の面白いところだと思う 世の中の後ろに出来る皺…世の中と衣替えの関係は? |
〃 | しら山や黒きは一羽ほととぎす | 「しら山」は加賀の白山標高2,702m、対する黒い鳥、それだけの世界 何でもないようでいて、一瞬にして素直に世界を捉えるかのようだ |
〃 | ほととぎす帆掛に出るや日枝おろし | 夏の季語として多く詠まれている”ほととぎす"だが、現在その姿、鳴声を知る人は何割ぐらいであろうか? 日枝おろしで琵琶湖をイメージできる人は?…少々解説の要る一句では、と感じる |
〃 | またぐらに山見る磯の田植かな | ぎょっとする出だしだ。アッそうかッと肯くのに数秒…? 一瞬の、これも絵になる俳句かな、と感じる |
〃 | 夜咄にねぶたかりしも夏の夢 | 芭蕉没後1年、同胞と故人を偲ぶ夜咄… 呼べど応えぬ空しさは、夏の短夜のはかなさか…支考の一面か |
〃 | みじか夜やあの雲見さい夢のきれ | 見さい→岐阜の方言で「見なさい」の意味、ミンサイと発音。 句に方言を入れつつ、雲を夢の切れ端と詠むロマン。支考はシカと詩人である |
〃 | 橘のゆかりや今の初茄子 | 俳句1句が文芸として成り立ち難い典型的な句だと思う 古の橘のゆかりに対して「今の初茄子」では判じ物になってしまう?俳句の宿命かな… |
〃 | みじか夜やあの雲見さい夢のきれ | 見さい=ごらんなさい…支考の故郷、岐阜北野村の方言である。 土の匂い漂う”人の世のはかなさ、むなしさ”の表現が新鮮だ… |
〃 | 早乙女や黒髪やまを笠のかげ | 乙女・黒髪・笠…3っつの単語から早苗を揺らす風のような 爽やかなイメージが湧く。ほっとする一幅の墨絵を見る思いがする |
〃 | 水鶏とも心やすしや背戸の道 | 取り立てて言うほどのない風景にも、何かを発見する鋭い感覚は 俳人支考ならでは…?そんな一風景… |
〃 | ゆりの花生ければあちらむきたがる | 全く言い得て妙である。恣意的に動けばそれを見越している かのようにプイと横向く、可愛さもある |
〃 | 世の耳を聞かでたふとし時鳥 | かなり略した言い方の「世の耳を…」でありつつも時鳥の一声と この「長寿老人」の悟りの言とが共鳴するかのようだ |
7月 | 昼顔や夏山ぶしの峯づたo | 発句は屏風の画と思ふべし。己が勿を作りて目を閉じ画に准らへて見るべし…とか 昼顔に夏、季重なりなど気にしないイイ時代だったのかな? |
〃 | 涼しさに中にさがるや青瓢 | 瓢の成る下を通れば誰だって何か言いたくなる…ちょっと触れてみたくなる… 涼しげで可愛いですね…なんて |
〃 | 三日月やさよは水鶏(くひな)の闇ながら | 播磨の「佐用」と「三日月」の名に興をえての作。お月様の三日月と小夜をも掛けている。 現在三日月町は佐用町と合併している。が、当時はその名と水鶏の闇の対比は新鮮だったのだろう… |
〃 | 南無あみの浦とやあまの夕涼 | 縁語…掛詞…かない…いろいろ遊んで、夕涼み~ ふと笑いがもれる、これは讃岐での作。江戸庶民の旅はどんな感じ? |
〃 | 行暮れて蚊帳釣草にほたる哉 | 行暮れて…うら寂しい語感だが、旅寝の常套句。でこれは季重なり…でもこの時代は平気?だったかも 蚊帳釣草、面白い名なので…斯く斯くと蚊帳釣草をして見せつ |
〃 | 世の露にかたぶきやすし百合の花 | 予備知識無しでもなぜか黄泉の世をふっと感じる句…だと思う 有るか無しかのはかない命は槿でもあり百合の花でもあろう |
〃 | 瓜食ふて酒のむ腹は祭かな | 俳人集いて酒盛り?瓜は真桑瓜か胡瓜か?の詮索は無粋だろう… その場の賑やかな会話を即座に5・7・5 が支考である |
〃 | 片袖は残る夏野のかざしかな | 惜別の情を「片袖は残る」と端的に表現できる俳句の妙 松浦佐用姫の故事に依らずとも儚い夏の別れを感じさせる |
〃 | 行暮れて蚊屋釣草にほたる哉 | なぜ蚊屋釣草…?旅にあって家屋を彷彿させる名への郷愁かもしれない。 我が身のおぼつかなさが蛍の姿と重なる |
〃 | 行暮れて蚊屋釣草にほたる哉 | なぜ蚊屋釣草…?旅にあって家屋を彷彿させる名への郷愁かもしれない。 我が身のおぼつかなさが蛍の姿と重なる |
〃 | 雪もちり花も散るとて蛍かな | 花吹雪の散るイメージを蛍の乱舞に重ね、一種幻想的な映像美すら感じる が、その一方で、世の常ならぬ無常観も流れ… |
〃 | 関の灯のあなたこなたを夕涼み | 関は下関、関門海峡の景色を眺めつつの夕涼み、であろうか 江戸時代、美濃からは遠い遠い端の端である… |
〃 | 村雨の雫や木々に飛ぶほたる | 雨湿りの残る木々の間に間に結ゆ~らりゆらりと飛ぶ蛍…或いは 乱舞する蛍…幻想的な夏の夜の一幕である |
〃 | 夕晴の雲や黄色に瓜の花 | ほっとする夏の夕刻…穏やかな空と黄色の大地の恵みが相照らし 互いが、生命を謳歌し人の心を豊かにしてくれる |
8月 | 魂棚にこちらむく日を待つ身かな | 魂棚(盂蘭盆に先祖の霊を迎える精霊棚)に自分の霊がまつられ 自分が現在座っている方向を向く日を待つという… 享保14年、支考晩年の心境である |
〃 | 花鳥の中に蚊帳つる絵の間哉 | 周囲がすべて美麗な絵の部屋に招かれ、蚊帳をつる時はどうするのか?と 思いつつ苦心惨憺…の末、できた句とか。眼は部屋全体を見わたしている |
〃 | おしむなよ芙蓉の陰の雨舎(あまやどり) | 1719年、支考が松任の千代を訪れた時の作 千代は「あたまから不思議の名人」と言われた17才の{美婦}支考は54才、芙蓉は雨宿りに適していたろうか? |
〃 | わせのかや田中を行ば弓と弦(つる) | 季語は「早稲」で、秋。田中の案山子を言わず 的を真っ直ぐ弓弦に当てたところが、支考かな? |
〃 | いくほどの世に綺麗なりけしの花 | 「いくほどの世」とは?行くほど・幾くほど・往くほど・逝く… どれを採っても芥子の可憐妖艶薄命を感じる |
〃 | その形の涼しや枇杷と一夜寝む | 枇杷は果実だろうか楽器だろうか?どちらが涼しい形か?と少々思案 一夜をともに…したいのは楽器から連想する艶やかさ…支考さんもウフフである |
〃 | 越後路は百里にかなし今日の秋 | 17006年6月末から越中・越後の旅、29日糸魚川で立秋 真夏の行脚の後の「百里にかなし」である。秋の気配が身に染みる |
〃 | きんかには蓋してありく団扇かな | きんか=金柑=禿頭、団=団扇=うちわ、現在この句を即理解できる人も少ないのでは? 卑俗と言い切れぬ暑気払いのユーモア楽しい |
〃 | あつき日にまづいひにくし野撫子 | 最高気温38度も続く昨今、使う言葉も、サシスセソ…シャシュショ あたりが涼しげか? ノナデシコと言うには確かにエネルギーが要る |
〃 | 闇に来る秋をや門で夕涼み | 風の通る夕暮れの闇を「秋」と表現する感性に魅かれる。季重なり云々は 些細な事と堂々としたあたりが支考らしい |
〃 | 三味線に秋まだ若し涼み舟 | 舟遊びに三味線の音…そこにそっと感じる秋の気配 その気分を「秋まだ若」と表現する妙・・支考だな~ |
〃 | 牛もなき車の尻や夕すずみ | 一仕事終えた夕涼みの景色…仕事を終えたのが作者? いや、空の荷車を借りて涼むのが作者だろうか? |
〃 | 風鈴や秋を触行(ふれゆく)市の中 | 風鈴売りの音が暑さを払い涼しさを来す… あたかも秋の到来を告げて回る小さな小僧のように |
9月 | 居りよさに河原鶸来る小菜畠 | おりよさに かわらひわくる こなばたけ 小菜は間引き菜のこと。心地よさげな秋の1コマ? |
〃 | 五器たらで夜食の内の月見かな | 五器=御器→蓋付きの椀のこと たらで=足りないまま 盛況であった月見の宴を「夜食の器が足りず」と表現する俳人も少ないだろうナぁ… |
〃 | 豆まはし廻しに出たる日向哉 | 小鳥の名は各地様々なのだろう…豆まはし=いかるorいかるが とのこと ちょっとした枕詞的用い方で面白い、夏でも秋でも… |
〃 | いざ宵や師の影去て十万里 | 佯死という自分の死を演じた後、次には弟子の役を演じて嘆きの句そ詠じる 座興とあればおもしろいが… |
〃 | 梢まで来て居る秋のあつさ哉 | 秋は何処から来るのか?ある朝ふと感じる空気…そこまで来ている筈が… 梢のほんの先まで…日が昇れば暑さ厳しい秋はじめである |
〃 | 稲ならばいな葉やみのの鮎膾 | 稲が去ね(去れ)去れとなびくなら去る(いぬ)のだが…美濃の稲葉山の鮎膾がなつかしい と掛詞を連ねる技も、当時の俳人の生活力?だったのかも… |
〃 | 逢坂で聞か二見ばや駒のくつわむし | 時は平安、逢坂の関での駒迎えに起因して… 駒・馬・轡・くつわむしと連想ゲーム、ちょっと高尚な言葉遊び… |
〃 | 早稲の香やいせの朝日は二見より | 肥後の旅、途中に「二見」という村を通った支孝 当の二見ならぬ伊勢の二見を詠む支考。ご当地の人、どうでしょうか? |
〃 | 沢蟹の鉾いからせて秋の風 | ちっぽけな沢蟹がにゅっと立ち向かう、相手は空しい秋の風 カニの色と秋が醸す白の対比と相まって、人生の哀歓をも感じる一句 |
〃 | 椋鳥や梢によする波の音 | 椋鳥の鳴き声を波の音に見立てての一句。ちょっとムリ?な気も… しかし、不意と遊びの感覚で作る俳句もおもしろい |
〃 | 稲々とそよぐはつらし門の秋 | 田に広がる稲の波…その様が、「去ね(いね)~去ね~…」と行ってるようだ。 秋の日に、去り難い土地を去らねばならぬ辛さが窺える |
〃 | 都にも雲の粟田やひえの秋 | 富山に向かう道中、馬子が支考に問うた内容をそのままの句である。 支考にとって粟も稗も珍しいもの?であったのか… |
〃 | きりぎりす啼せて寝たし籠枕 | 江戸に5つの風流あり。雪見、花見、月見、菊見、虫聞き。 枕にきりぎりすの啼くを入れ、風流の先取り…支考的発想か |
〃 | 夜を竪に引延ばしてや銀の川(あまのがわ) | 夜空は両手を広げたその上広がっている感じを 銀河は縦長の空間流れ落ち津かのように感じる壮大さ‼ |
10月 | 一俵もとらで案山子の弓矢哉 | 米の一俵も収穫せずに案山子は弓矢を手にするばかり… 案山子の手に遊んでいる弓矢に 江戸期の「それなりの平和」を感じる |
〃 | 一里(ひとざと)は皆俳諧ぞくさの花 | 肥後国佐敷のな全睡亭での作。くさの花…草の花。 雑草という名の草は無いとはいえ、何故か寂しさのこもる長閑さを感じる季語だナ~ |
〃 | 出山の像おがませむ市の秋 | 支考が病床の折、見舞い客に、芭蕉から贈られた釈迦の像を見せようしたのか… 市井の秋の一日…こんな日記もいいなァと思う。背景は自分だけが知っている… |
〃 | 持網に白鮠(しらはえ)ふるふもみぢ哉 | 季節を色に例えれば”白” そこに紅葉の色が重なり鮮やかさが増す。 もみぢ と 紅葉 その違いが微妙である…… |
〃 | 冷々と朝日嬉しき野分かな | 野分のまたの日こそ いみじうあはれにをかしけれ…そのままの風情である 大嵐はさておき、洗われた空に輝く朝日は、見る者に生命力を与えてくれる |
〃 | 南むきて雁とかたらむ浜の菊 | 北陸からの帰路、南から飛び来る雁と出会い語らいすれ違う… 旅の醍醐味だろうか?雁と菊、季重なりは微々たるモノ |
〃 | 立山と誰れ岩瀬野のをみなえし | 元禄14年魚津から富山への旅途中…「岩瀬」を「言わせ」と掛け 雄大な立山と女郎花の構図が目に浮かぶようだ |
〃 | 気みじかし夜ながし老いの物狂ひ | 気短と夜長の対比が理屈っぽいと批判されがちだが 老いの物狂い・は現在人も頷ける普遍性?があるかも… |
〃 | おもしろのたびねや秋の野は緞子 | 話の弾む秋の夜長、そして昼の野は緞子の布団のようだった。 上布団の生地が緞子、それが秋草模様…と注釈が要る |
〃 | 大垣へ行とて通る小柿哉 | は~い、座布団一枚! のような俳句である。大に対し小・垣と柿 こんな手法も支考らしく、彼の行き方の一つだろう |
〃 | 茸狩といふて出ばや旅姿 | 全国行脚の思支考にとって、人との出会いと別れは日常の事…とはいえ 寂しくもあり、別れのシーンでちょっとはにかみ興じて見せる |
〃 | 城見えて朝日に嬉し稲の中 | 富山、岩瀬浜での句かな?では城は浜から眺める富山城… 城・朝日・実り 充足を感じさせる句だと思う |
〃 | 船超してとべやどなたも秋の暮 | 福井は三国新保での事。俳句仲間が船で往来 あの人この人の姿が影絵のように揺れ動く秋の暮 |
〃 | 関守はゆるさぬ鳫のそら音かな | 懐かしい百人一首を思い出す。雅と俳諧の粋な橋渡しをする支考の智恵 この粋な智恵を好んだか否か? |
11月 | 菊の香醍醐味や 御器も其儘 宵の鍋 | きくのかや ごきもそのまま よいのなべ |
〃 | 狼のこの比はやる晩稲かな | 「はやる」は、のさばるの意。 当時、狼は季語としては弱かったのか、晩稲で秋季を表現 |
〃 | 菊萩にいつ習ひてや袖の露 | 九州行脚の終盤、病床に就いた後の支考。人との別離の哀しさにふと涙… |
〃 | 茶の花に此里床し美濃だより | 元禄14年越路の帰途の作。終生全国を行脚し続けた支考 その地の風情や人情に涙と微笑みを幾度繰り返したことだろう… |
〃 | 影ならぶ鷺の玉江や芦の霜 | 元禄14年越路の帰途の作。師と弟子は類似するのか否か?「月見せよ玉江の芦をからぬ先~芭蕉」がある。 |
〃 | ふうわりと着心寒し紙子夜着 | 毛織物が流通しない時代、紙子は防寒の役目をしただろうに それを「寒し]と表現する心は?第3の眼差し?… |
〃 | 時雨ねば松は隙なり小六月 | 時雨にこそ松の生命力を感じる…それを逆に、擬人化して”ヒマひましてる松”と詠む 松にとっては”言われたネ…”の感じが面白い |
〃 | 影ならぶ鷺の玉江や芦の霜 | 鷺・芦・霜 3つの素材を並べて句になる不思議… 一瞬の絵画、言葉の妙を支考の句に感じる |
〃 | あふぬくは損なり金はちる紅葉 | あふぬく=仰向く AはB C=D の対 卑俗なようで言い得て妙ある 支孝ならではの妙ある句 紅葉なき頭上を嘆かず目線を足元の紅葉に移す支考の気転 |
〃 | 駕籠の戸に山まづうれし鵙の声 | 筑紫の旅の途中、病に倒れ、ようやく到着した出発地での灌漑。病み上がりの駕籠での移動が なお一層、到着の嬉しさを際立たせている |
〃 | 君まさで松に声なし冬の色 | 支考はこんな寂しい句をも詠む俳人でもある。 待てども待てども声を聞けぬ哀しさは冬の色と重なる/td> |
〃 | 牛呵る声に鴫たつゆふべかな | 鴫たつ沢の秋の…と咏うが雅で、支考句が卑俗? いえいえ、詩は心に日常茶飯事湧き出すもの… |
〃 | 新酒にはよき肴あり松の月 | 新酒には新酒に合わせたような肴がある あたかも、松の枝に現れた月…ぴたりと当てはまる…酒と肴 |
〃 | 名にめでゝ雁も平砂の旅寝かな | 三国にて「平砂落雁」に因んで詠まれたとか… とは言え主眼は「旅寝」での旅情に近そうだ |
〃 | 城外の鐘きこゆらむもみぢやま | 中唐の詩人張継作を知る人ぞ知る…支考は 俳句の特質、俳句の短所?ちょっと考えてみる |
12月 | 引被る 衣の香床し 初時雨 | ひきかぶる ころものか ゆかし はつしぐれ |
〃 | しかられて次の間に出る寒さ哉 | 元禄7年10月11日の夜、芭蕉死去の前夜、看病していた門人達が夜伽の句を詠んだ一句 芭蕉に叱られた体験を詠んだものだろう。如何なる時も俳句と伴に生きている |
〃 | 麦蒔の伊吹をほめる日和かな | 穏やかな日和に麦を蒔く農夫の目線で伊吹山の雄姿を捉え 支考の故郷を詠む… 現在も美濃の民にとって伊吹山は特別なものである |
〃 | きよつとして霰に立や鹿の角 | 「キョッ」?とした鹿とは、どんな表情なのだろう…同じ句が「蓮二吟集」では「きつとして」となっている 霰のイメージと重なるのは「きつ」だろうか 霰の中に立つ鹿の表情・角のカリカリ感が「きつ」に凝縮されている |
〃 | 朝雀雪はく人をはやしけり | 夜の支柱雪が止み、雪に映える朝日の中で何か楽しい気分の雀と雪掃く人。 雪掻きほどの雪で無いのがイイ |
〃 | 鵜のつみもわすれん雪の長良川 | 鵜を使って鮎を獲ることに罪の意識が、江戸の人支考にあったのだろうか? 忘れたいのは日々の自分の微罪…ホントは雪を見るとそう思うのでは? |
〃 | 野は枯てのばす物なし鶴の首 | 枯野に「のびる」物ではなく「のばす」物というところが気になる…?
「のびる」と見るのが自分なら「のばす」のは対象物自身の底力?鶴の首は鶴がのばすもの… |
〃 | 都にも師走かあゝと啼くからす | 支考が意図したか否かは別として、「師走かあゝ」と する痩身の釈迦 と我が身の痩せ、似て非なる?と自嘲の苦笑い |
〃 | 水仙の花たてまつる仏かな | 富山・瑞泉寺の浪化上人の病臥から死まで傍にいた支考… 没後の追善の句である。仏には水仙の清澄さが似合う |
〃 | 湖の鏡に寒し比良の雪 | 何でもないことのように季重なりが使われ…それでも居心地の良い句に 俳句で食べる人は、さすが?何処か違う |
〃 | 食堂に雀啼くなり夕時雨 | 禅寺の食堂は、食事中であっても無くても、静かである。 音を立てずに 物を食むのも修行…唯々軒端の雀と寂しい雨音 |
〃 | 寒ければ寝られずねゝば猶寒し | 少し理屈っぽくも取られる句でありながら妙に 身に迫る感じだ。窮すれば貪する…に似る |
〃 | 大根はあかれて雪の若菜かな | 大根を主語とした「は」が効いている…人間が飽きるのではなく 自然界の次の主が若菜へと… |
〃 | 霜月に節句もあらば水僊花 | もし霜月に節句があれば、水仙こそが節句の花だろう 寒空にふっと薫る水仙に慰められることもあり |
〃 | 三日月も似合に凄し冬の雲 | 古語の「凄し」は①もの寂しい②気味が悪いの意 冬の雲と三日月が醸す荒涼たる景色に①と②の意味が重なる |